こんにちわ。ブログ係のNです。
万籟山古墳の2017年度発掘調査もこのまえの金曜日の激戦で
終了。今年度も新たな発見と参加者の成長が認められた調査でした。
発掘調査も一息ついたところで、この場をお借りして発掘調査成果をお知らせしたいと思います。
今回の調査では、現地説明会などで成果を現地でみていただく機会を設けることができませんでした。
楽しみにされていた方には大変申し訳ございませんが、ここでご紹介することで、
すこしでも調査成果を共有できればと思います。
また宝塚市教育委員会とご相談しながら後日、成果報告会などを開催したいと考えています。
成果① 遺存状態の良い埴輪列の検出
墳丘のくびれ部に設定した調査区において、古墳築造時に立て並べられた状態を保った埴輪列を検出しました。
万籟山古墳において埴輪列の存在が確かめられたのは初めてとなります。
成果② 豊富な埴輪資料の出土
これまで万籟山古墳では5破片のみしか、資料が公表されていませんでした。
しかし、この発掘調査によって豊富かつ遺存状態の良好な資料を得ることができ、その結果、万籟山古墳の時期的な位置づけや、初期ヤマト政権中枢との技術交流の様相を復元することが可能になりました。
今回、万籟山古墳で出土した埴輪は普通円筒埴輪(ふつうえんとうはにわ)、朝顔形埴輪(あさがおがたはにわ)です。
埴輪の製作時期は、古墳時代前期半ば(4世紀前半)に位置づけることができます。
まだ、全土的に埴輪の樹立が認められないこの時期に、万籟山古墳は中央の埴輪生産技術を取り入れた典型的な埴輪を樹立していたことが判明し、
あらためてヤマト政権と万籟山古墳被葬者との政治的関係が明確となりました。
成果③ 墳丘構造の解明に前進
山頂に築造された万籟山古墳は、もとの地形を利用しつつ、やや不整形な前方後円形をしていることも墳丘の発掘調査によって明確となりました。
後円部調査区の中ほどから北側(斜面下方)では、もともと山に存在した岩盤をむき出しにすることで墳丘の一部としているということが判明し、この箇所では岩脈の凹凸をうまく利用することで葺石のかわりとし、墳丘構築の省力化を図っていると考えられます。
また、後円部調査区上方では、墳丘段築成のテラス面から積み上げられた葺石が、きわめて良好に遺存していることが確認できました。
後円部は三段に築成された可能性があります。
くびれ部調査区では、原位置を保つ斜面およびテラス面を検出することができ、前方部は2段築成であった可能性が想定できるようになりました。
以上の発掘調査成果によって、猪名川流域の古墳築造動態についてさらなる詳細情報を得ることができたことは、
万籟山古墳の築造背景を考える上で有力な手がかりとなりました。
山頂に築造された万籟山古墳は、初期ヤマト政権中枢の有力古墳で採用された古墳の特徴(埴輪樹立、葺石、竪穴式石室)を兼ね備えた前期古墳の教科書のような存在です。
このことは長尾山丘陵の地域勢力と初期ヤマト政権との強い政治的連携をさらに裏付けるものです。
このブログを通じて、猪名川を介した南北ルートの地政学的重要性を長尾山丘陵の古墳築造背景として想定できそうだということをお伝えしてきましたが、こうした仮説が今回の調査によってますます確実になってきました。
(N)