調査終盤の雨(2018/3/19)

こんばんは。ブログ担当のNです。
本日は雨のため、大学で作業がおこなわれました。

研究室での作業風景

研究室では現場の測量関連の整理作業が行われました。
データをパソコンに打ち込んで保存したり、図面の最終的なチェックが行われています。
細かい作業になりますが、発掘調査の正確な記録を保存するために、このような作業は欠かせません。

遺物整理作業室では、埴輪の洗浄がおこなわれました。

本調査では多くの埴輪が出土

洗浄作業の醍醐味は土を落としてきれいになった埴輪を観察できることですが、今日は新たな知見をもたらす、埴輪片が発見されました。詳細は後日発表されると思いますので、乞うご期待下さい。

調査は終盤に差し掛かっており、明日は写真撮影がおこなわれる予定です。
最後まで怪我なく現場を終えれるよう頑張っていきます。(N)

ぼくたちの勝利はすぐそこに…(2018/3/18)

こんばんは。ブログ担当のIです。

調査も終盤に入ってきた本日は、三つの班に分かれて作業を行いました。

①図化作業の仕上げ
くびれ部調査区では今日、立面図の作成を行いました。
発掘調査では基本的に
遺構を真上からみた平面図、土層の堆積過程を記録する断面図、
遺構を真横からみて図化する立面図の三点をとります。
発掘調査で作成する図面は発掘調査のまとめとして刊行する発掘調査報告書に掲載しますので、
作成者は人一倍気を引き締めます。

②周辺清掃
発掘調査中はできるだけ写真で記録をのこしていきますが、
完掘状況では調査区全体が画角にはいり、調査成果がわかりやすい写真を撮影する必要があります。
これは、調査に参加・見学していない方々にも調査成果を視角的に伝えるためです。
大切なことは、調査区内部だけではなく、周辺を徹底的に掃除すること。
とくに古墳では調査区外に広がる墳丘の現状をより明瞭にすることが調査成果を際立たせます。
調査区外で熊手を使って、落ちている笹などをかき集め、根切りハサミをつかって、
下草や木の枝を刈り込んでいく作業は骨が折れますが、
それが美麗な写真につながるのです。

③閉合トラバース
閉合トラバースとは、簡単にいえば、調査中に基準とした木杭が、
実際の地図上のどこに位置するのかを、測量機器を用いて正確に測っていく作業になります。
測量と聞くと、工学部などの理系分野をイメージしてしまうのですが、
考古学においても、重要な位置を占めるのです。

今年度の閉合トラバース選抜メンバーはこちら。


チームリーダーH選手(M1)。爽やかなTSさばきをみせる。昨年に続いての登用


谷本選手(新M1予定)。声の大きさには定評


W選手(3回)。最年少の参加でメキメキと実力をつける

最後には、今年度の調査の集合写真をとりました!

~コラム 優しい世界~
阪大考古学研究室のストロングポイントは、
各地の教育委員会・研究機関・大学で働いているOB・OGの方々とのつながりが強いことです。
発掘調査にかぎらず、日々の研究に関しても、
いつも様々な形で助けられ、お世話になっております。
温かな差し入れにも、感謝の気持ちでいっぱいです。
本日もお肉の差し入れがあり、すき焼きにしてみんなで舌鼓を打ちました。


美味しいご飯がよい調査成果を生むといっても過言ではない

雨が上がって(2018/3/17)

こんばんは。本日のブログ担当谷本です。

早春とは思えぬほどの暑さから一転、今日は少し肌寒い空模様でした。
昨日の雨天中止を受けて、調査団員たちは早朝から獅子奮迅の活躍をみせてくれました。
それでは、本日の調査について報告します!

後円部トレンチでは、引き続き図面の作成を進め、ほぼ終了しました。
明日以降は図面の若干の補足をしつつ、写真撮影にむけて周辺やトレンチ内の清掃に邁進していきます!

くびれ部トレンチでも図面の作成を継続し、作業が大きく進展しました。
こちらも図面完成はあとすこし、写真の準備にはいっていきます!


図面作成を素早くかつ丁寧に仕上げていく調査団メンバー

~コラム① 兵庫県川西市満願寺を訪ねて~
調査団宿舎の近くに「満願寺」というお寺があります。
満願寺は奈良時代の前半、724年に聖武天皇の勅願により、勝道上人によって全国に建立され、当寺はそのうちの摂津国に建立されたものと伝わっています。


満願寺山門。両脇に控えるのは木造金剛力士立像(鎌倉時代末)。
明治時代に多田神社より移された。

平安時代中頃になると、多田源氏(2代目である源頼光が特に有名ですね!)の祖である源満仲(912?~997)が多田盆地(現在の兵庫県川西市)に移住し、多田院(現在の多田神社)を建立しました。
満仲は多田盆地の開発を進める一方で、満願寺に帰依し、満願寺は源氏一門の祈願所となりました。
そのためでしょうか、満願寺には多田源氏ゆかりの文化財が数多く残っています。


九重の石塔。
1293年に源氏一族の女法尼妙阿が父母の極楽往生を願って造立。
国指定重要文化財。


頼光四天王の一人、坂田金時の墓。
昔話『金太郎』のモデル。

鎌倉時代末から室町時代にかけて、満願寺は後醍醐天皇や室町幕府の厚い庇護を受けました。
川西市教育委員会が行った調査によると、満願寺金堂に安置されている宮殿(くうでん:仏像などの礼拝対象を収めるもの)はほぼ完全な唐様(禅宗様)を呈しており、弘治4年(1558年)と永禄2年(1559年)の墨書が残っています。
この宮殿は室町時代末期の標識建築としてきわめて重要なものと位置付けられています。


満願寺金堂。この中に宮殿が安置されている。

しかし、満願寺は有岡城の戦い(1577年:織田信長と荒木村重との戦い)における一連の戦闘に巻き込まれ、消失してしまいました。
その後、江戸時代になって、再建されたと伝わっています。


満願寺内にある『金時茶屋』のにしんそば。
あまりの美味しさに筆者悶絶。

~コラム② U氏(3回)生誕祭~
 本日3月17日は、3回生U氏の誕生日でした。この情報をキャッチした我々は、いつも弛まぬ努力を続けているU氏を労い、日頃の感謝を伝えようとサプライズプレゼントを贈ることにしました。


誕生日を迎えたU氏(3回)を肩たたきで労うW氏(3回)

 本日の調査が終わり、宿舎に帰ってきたU氏を待っていたのは暖かい祝福でした。
男性団員達の重低音が響くハッピーバースデイソングの後、U氏にプレゼントが手渡されました。


プレゼントに大喜びのU氏と笑顔で祝福する団員達。

U!
この一年が君にとってよりよい一年になるように!

(谷本)

雨の日の調査と埴輪クッキーつくり(2018/3/16)

こんばんは。
メディア班のNです。

今日はあいにくの雨天のため、現地での作業は中止。
「先生、現場がしたいです」と調査団メンバーはうなだれて、こぶしを握り締めるも
降りしきる雨。
大学の実習室で昨日作成した図面のチェックを行いました。

図面の整合性を確認するR氏(D3)とN氏(新M1予定)

明日、明後日で図面が完成できるよう、努力したいと思います。

~コラム 万籟山古墳発掘調査団古墳スイーツ製作班~

近年、じわりじわりと広がりをみせつつある古墳スイーツ。
万籟山古墳発掘調査団でも古墳ケーキをはじめとして流行の古墳スイーツの
情報収集はかかさずおこなっています。
そして、大切なことは実際につくってみること。
偶然にも円筒埴輪のクッキー型をみつけた製作班では、
さっそく購入し、
夜の宿舎でクッキー製作に試行錯誤しています。

材料を計量カップではかり、生地を練りこんで作成し、
冷蔵庫で型抜きがしやすいように冷やして、型抜きです。

型抜き

円筒埴輪ができあがっていく

食紅をいれて、埴輪っぽい色を目指す

埴輪の色を忠実に再現するため、
きなこをいれたり、食紅を加えて赤くしたり、リアリティの追及が大切です。
円筒埴輪の断面をみると、砂粒が多く含まれていますので、
それを復元するためにザラメをいれてみたり、と。

そして、予熱しておいたオーブンで焼成焼き上げます。

円筒埴輪

1700年の時を超えて、完成。
古墳時代人も驚きの味だ。
注.古墳時代にクッキーはありません。

明日は晴れの天気予報。週末ですが、一生懸命古墳の調査に勤しもうと思います。
(N)

図化すること疾風のごとし(2018/3/15)

こんばんは。メディア班のIです。

本日からは後円部調査区に続き、クビレ部調査区でも図化作業を開始し、
調査は佳境に入ってきました。
発掘調査に費やすことのできる時間は、無限というわけではないので、
ここからの作業には慎重さと共に、スピードも求められてきます。
団員は疲れた体に鞭をふるって、鬼神のごとく図をとっていくのです。


多士済々の顔ぶれ

~コラム 万籟山古墳発掘調査団メディア班~
発掘調査について、その様子や成果をインターネットで公開していくことは、
著名な考古学者、イアン・ホッダーらが提唱し、
近年ではほとんどの大学・教育委員会・研究機関による発掘で、情報のネット公開が行われています。
阪大では旧石器捏造事件以後、発掘調査の信頼性を取り戻し、
また発掘調査成果の幅広い公開を目指して
十数年欠かすことなく続けてきました。


測量風景を写真にとるメディア班(右)

阪大考古学研究室では、ブログという手段でもって、
みなさまに調査団の雰囲気をお伝えしているのですが、
毎日の作業後、夜の宿舎で記事を書いているのが、メディア班です。
記事の執筆のみならず、作業風景写真の撮影や管理など、
やるべき仕事はたくさんあるのですが、
これからもブログをご愛読してくだされば幸いです。
コメントも励みになります。


筆者(新M1)。生みの苦しみに苦悶の表情

春の兆し(2018/3/14)

こんばんはブログ担当のNです。
本日も調査の進展について報告していこうと思います。

後円部トレンチでは、図面の作成が継続しています。今日は平面図に加えて、断面図の作成も開始しました。
断面図の作成とは、発掘したトレンチ(調査区)の土の堆積状況を調べることで、遺構検出までの過程をたどり、
遺構の構造を読み解き、それを記録していくことですが、
土の色や粘性、どのような石を包含しているかで土の性質を見極めていくことは、発掘調査においてとても重要な作業となっています。
後円部の図面作業は今日でほぼ完了したため、明日以降はまた別の作業も開始する予定です。

くびれ部トレンチでは、図面作成と写真撮影準備を行いました。記者発表の準備もすすめました。

ひとりひとりが役割意識をもって作業は進む。

ひとまずくびれ部トレンチの掘削は終了し、明日以降は図面作成をくびれ部でも開始する予定です。

記者発表に向けて、成果を議論し、考えをまとめる

今日は日差しがとても強く、作業中は汗が噴き出すような気温でした。

体調には十分注意し、水分補給をこまめに行いながら調査を行いました。

お昼休みに宿舎に戻ると、先日に引き続き本日もOBの方から差し入れが!

ドーナツ4姉妹

疲弊した体には甘いものが大変ありがたく感じます。
体調には気をつけて、明日も調査を継続していきます(N)

本日も快晴です(2018/3/13)

こんにちは。ブログ担当のNです。

今日も天候に恵まれ、発掘調査は順調に進んでいます。
後円部では、昨日に引き続き平面図の作成が行われました。

発掘調査では掘削して、遺物を掘り出すだけではなく、
検出された遺構、時には出土した状態の遺物を正確に記録する作業が大切です。
この調査でも図面を作成する作業が本格化してきました。

検出された岩盤

万籟山古墳の後円部トレンチでは、古墳が立地する山の岩盤が露出しました。
この性格については現在精査をしているところですが、
墳丘が岩盤によって不整形になった可能性があります。

クビレ部ではさらなる墳丘構造の解明のため、トレンチの拡張を行いました。

明日以降拡張部の平面精査を行い、基底石列の検出を目指す予定です。

本日は宿舎に帰るとOBの方から差し入れが届いていました!
文旦です。
柑橘の女王、文旦です。

ブンタン4姉妹

おいしい差し入れに、発掘調査の疲れも一気に解消します。
明日以降も引き続き、調査に邁進していきたいと思います。

後円部は図化作業、くびれ部は引き続き掘削(2018/3/12)

こんにちは。ブログ係のNです。

本日も万籟山古墳の発掘調査は進んでいます。

後円部では図面作成が行われています。

花粉症のためマスクは欠かせない

図面を描くのは難しいですが、なんとか仕上げていこうと思います。

前方部では先日あらわれはじめた基底石周辺の掘削が引き続き行われました。

今日の調査では後円部の発掘で明らかになった墳丘構造との一致点がわかりはじめました。

福永先生による遺構の検討

明日も調査終了に向けて、作業を続けていきます。(N)

図化作業を開始しました。(2018/3/11)

こんばんは。
ブログ係のHです。

調査も佳境に入り、掘削によってわかったことを図面にする作業が開始しました。

 まず、出土した葺石を図化する前には、石の形がはっきりわかるよう、すきまの土を取り除かなければなりません。葺石を見やすくしたあとは、図化するときに必要な「軸」となる糸をトレンチ内に張ります。

 これらの作業を終えると、図面を描く作業に入ることができます。こうした図面や写真をまとめたものが「発掘調査報告書」と呼ばれるものです。調査区は調査が終わると埋め戻されてしまいます。ですから、こうした図化作業は、調査に携わったり、見学できない多くの方に客観的な情報を提供する重要な作業です。


平面図をかく院生のN氏

 また、くびれ部のトレンチでは、先日検出された葺石の位置と標高を昨年度の調査成果と照らし合わせる作業を行いました。具体的にはトータルステーション(TS)とレベルを用い、葺石の位置と標高を確認しました。TSは基準とした点からの正確な距離を測る機械です。レベルは標高を測るための機械です。


TSを操る1回生・4回生・院生混合チーム

 宿舎に帰ったあとは、TSとレベルの測量結果を図化し、昨年度の調査成果と照らし合わせました。院生を中心に今年度の調査結果について熱い議論が交わされました。


膝を交えて議論する学生たち

明日以降も掘削および図化作業が続きます。根気のいる作業ですが、今後もがんばっていきます。

万籟山古墳について(2018/3/10)

こんばんは。メディア班のIです。

本日は気温も回復し、団員たちは暖かな春の日差しの中、調査を行いました。
調査開始からほぼ2週間がたち、現場も折り返しを迎えようとしています。
そこで今日は万籟山古墳について、既往の研究で指摘されてきたこと、
おととしからの阪大の調査で分かってきたことなどをもう一度おさらいしておきましょう。

万籟山古墳は古墳時代前期(3世紀半ば~4世紀)に築造された、
前方後円墳(鍵穴状の形状を呈す古墳)です。
1930年代に調査され、竪穴式石室という埋葬施設を持つこと、
埴輪や石製品などが出土することなどが明らかになっていました。
(詳しくは本ホームページの「万籟山古墳について」を参照してください)


一次調査の一幕。うっそうと茂る樹木は調査員を阻むかのようであった


調査により後円部の高まりが明瞭になった

大阪大学考古学研究室は、2015年度から、
猪名川流域の古墳築造動向を探るプロジェクトの一環として、
この万籟山古墳を調査してきました。

おととしからの成果をまとめておきましょう。
①はじめて万籟山古墳の墳丘を発掘調査した
 これまで万籟山古墳における調査は、埋葬主体部や地形測量に限られていましたが、はじめて発掘調査によって墳丘に関する確定的な情報を得ることができました。
②墳丘規模の確定
これまで万籟山古墳の墳丘長は、54mとの推定が有力でしたが、阪大の発掘調査によって64mであることが判明しました。
また前年度の調査では、前方部トレンチで基底石・葺石を検出し、墳丘端を確定しました。
今年の調査では、前方部と後円部との接合箇所を確認すること、埴輪列を検出すること、後円部端を確定することをねらいにしています。


前年度の前方部調査区。基底石と葺石の並びがよくわかる

第3クールは遺構の図化作業に入っていきます。
成果は随時、ブログで公開していきますので、ご期待ください!