万籟山古墳の発掘調査成果講演会

おはようございます。ブログ担当のNです。

10月15日日曜日に、宝塚市立東公民館で万籟山古墳発掘調査の成果報告講演会を実施し、福永伸哉教授と中久保辰夫助教が発表しました。

万籟山古墳の発掘調査(2次調査)を今年3月におえて、それからも研究室では調査成果をもとに研究をすすめてきました。

発掘調査区で得ることができた土層の堆積状況を図面や写真で再確認し、古墳の規模を検証したり、

出土して土まみれの状態になっている埴輪を丁寧に水洗いして、土をとりのぞき、1つ1つの埴輪に出土地点、出土土層といった情報を細かい文字で記入したり、

地道な作業を根気強くつづけて、調査成果をより確実なものにしていきます。

こうした粘り強い仕事によって新たな発見もあります。

発掘調査時には疑問になっていた点も氷解することもしばしばで、考古学の醍醐味はかならずしも華やかな発見だけにあるのではないことに気づきます。

こうした発掘調査後の作業もすすんできて、また春の調査では、現地説明会ができなかったため、宝塚市教育委員会と大阪大学考古学研究室が共催で発掘調査の成果を報告する場を設けました。

講演会では、まず中久保助教が「万籟山古墳の発掘調査成果」として発掘調査で判明したことを報告しました。

次に福永教授が、「長尾山丘陵の古墳群と邪馬台国からの風」と題して、万籟山古墳が築造された歴史的背景について、最新の研究成果を披露されました。

当日は、雨の中にもかかわらず、200人近い参加者がおこしになり、猪名川流域の古代史に思いをはせる午後となりました。

これからも継続的に整理作業を続けて、さらなる古代史復元につとめたいとおもいます(N)。

 

 

立つ鳥跡を濁さず、です!

こんばんは。ブログ担当のUです。
本日は、埋め戻したあとのトレンチの状況を写真に撮ったり、古墳および古墳周辺の清掃を行いました。

写真撮影がおわると、一同でゴミ拾い。

来る前よりきれいに!を合言葉に、一同目を皿にしてごみを探します。

ゴミハンターK氏(2回)

スッキリと綺麗にして、一同帰宅しました。

夕日をバックに記念写真をパチリ。

殿を見事に勤め上げた勇士

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

さて、長らくご愛玩いただいたこのブログも、今回が最終回です。
いままでご覧いただき、ありがとうございました。
発掘調査は終わりましたが、出土した遺物の整理など、まだまだやるべきことは盛りだくさんです!今回の成果を活かせるよう、頑張りたいと思います。

そして、これからも継続的に万籟山古墳の発掘調査を予定しています。

なお、古墳はアクセス路のない山中に加えて民地内でもあり、立ち入りはご遠慮ください。調査の成果につきましては、宝塚市教育委員会とご相談しながら後日、成果報告会などを開催したいと考えております。

 

とうとう埋め戻し!

こんばんは!ブログ担当の上田です。

本日は発掘調査の終盤、埋め戻し作業を行いました!

発掘調査で掘削した部分にあたるトレンチは、調査が終わったあとには、元どおりにしなければなりません。掘ってそのままにしておけば、発掘調査で露出した遺構が痛んでしまうからです。

発掘調査はある意味で破壊行為であるといえますが、将来的に行われる調査に向けて、残せるものは可能な限り良い状態で残さなければならないのです。

多くのことを教えてくれた万籟山古墳に感謝しつつ、丁寧に埋め戻して行きました。

 

 

 

…とはいいつつ、やはり肉体的な負荷は大きいようです。うなだれる調査団員…

 

しかし、現代医学の力は偉大です。

ここぞ!というときには、やはりドリンクですね

魔法のドリンクを摂取して、みるみるうちにエネルギーが…!!

ありあまるエネルギーを発散する調査団員

 

無事に埋め戻し作業を終えることができました。

 

ここちよい疲労感とともに、最後はお寿司でカンパイです!

好みの寿司ネタを狙う鋭い眼光

一同疲れましたが、充実した一日でした。(U)

 

今回の調査でわかったこと

こんばんは。ブログ担当のNです。

万籟山古墳の発掘調査も今年度分はおおむね完了し、あと掘削個所の埋め戻し作業をのこすのみです。

本日は、その作業を行う予定でしたが雨天のため、中止。明日も卒業式などがあるので、作業を行いません。

発掘調査も一息ついたところで、この場をお借りして発掘調査成果をお知らせしたいと思います。今回の調査では、現地説明会など、成果を現地でみていただく機会を設けることができませんでした。楽しみにされていた方には大変申し訳ございませんが、ここでご紹介することで、すこしでも調査成果を共有できればと思います。また、”調査の概要”でお知らせしています通り、宝塚市教育委員会とご相談しながら後日、成果報告会などを開催したいと考えております。

さて、今年度の発掘調査でわかったことは、つぎのようにまとめることができます。

調査成果①  著名な前期古墳をはじめて発掘調査したこと

万籟山古墳は、1934年にハイキングコースをつくる際、発見されました。その後、梅原末治らによる調査(梅原末治1937「攝津萬籟山古墳」『近畿地方古墳墓の調査』二 日本古文化研究所)、武庫川女子大学による測量図作成、宝塚市教育委員会・関西学院大学による石室実測(直宮憲一1975『摂津万籟山古墳』宝塚市教育委員会)など、埋葬施設を中心とした調査はなされてきたのですが、万籟山古墳の墳丘に関する情報は、地形の観察や測量調査によって推測するほかありませんでした。

たほう、古墳の研究は、埋葬施設やそこにおさめられた副葬品だけではなく、墳丘のサイズや構造にかんする情報も重視するようになりました。とくに古墳のサイズは、古墳築造に投入された労働力を反映するのですが、150m前後、100m前後、60m前後といったように一定の約束事をもっていることもわかってきました。

現在、墳丘長は古墳被葬者の実力、すなわち古墳築造に動員できる人々や労働時間があらわれたものであり、それが承認されているという考えが通説です。

こうした考えにたてば、文字史料に恵まれない古墳時代でも、古墳という考古資料を用いて、地域をおさめた有力者の存在やその政治的位置を探ることが可能となります。

大阪大学考古学研究室では、これまで考古学界の中で著名でありながらも墳丘に関する詳細な情報が知られていなかった万籟山古墳について、発掘調査によって古墳の墳丘長をまず確定しようと考え、今回、初となる発掘調査を実施しました。

調査成果②  墳丘規模の解明

これまで万籟山古墳の墳丘長は、地形の観察や測量調査によって54mとの推定が有力でしたが、今回の発掘調査によって64mであることが判明しました。

その根拠は、

①前方部トレンチで2段の葺石を検出し、1段目基底石から前方部前端が確定したこと、

②後円部トレンチ北端で傾斜平坦面を確認したことです。

さらに墳丘高は8.7mを測ることも明らかとなりました。同時期の猪名川流域の最有力古墳に相当する規模となります。

調査成果③ 万籟山古墳が築造された背景を探る手がかりが得られたこと

以上のように、発掘調査成果によって、万籟山古墳のサイズにかんする情報が得られたことにより、猪名川流域に築造された古墳の盛衰がいっそう鮮明なものとなりました。
万籟山古墳は、これまで少量の埴輪しかひろわれていませんでしたが、今回の発掘調査で多く出土した埴輪の特徴から古墳時代前期中頃(4世紀前半)に築造されたことが、確実視できるようになりました。

さらに、前方後円墳に竪穴式石室を有するという最も格式の高い古墳の形であることはすでにしられていましたが、発掘調査によって古墳の表面に丁寧に葺石を敷き詰め、埴輪を樹立していたことも明確となり、まさに古墳時代前期の典型的な古墳であると理解できるようになりました。標高215mを測る高い尾根上に築造されていることも教科書的な前期古墳のあり方といえます。

このように万籟山古墳に関する情報が発掘調査によって確定してきたことによって、古墳時代前期の長尾山丘陵には、葺石を有し、埴輪を樹立する前方後円墳が少なくとも2基(長尾山古墳、万籟山古墳)築造されていることになりました。両古墳にみられる特徴は、日本列島の中で最も巨大かつ入念に築造された大王墳をはじめとする大規模古墳と類似することから、初期ヤマト政権と長尾山付近の勢力との強い連携を推測することができます。

では、どうして長尾山丘陵にこのような典型的な前方後円墳が築造されたのでしょうか?被葬者はどのような勢力基盤をもっていたのでしょうか?

このことを考える手がかりの1つは、万籟山古墳墳頂から見渡すことのできる景色にありそうです。

万籟山古墳の上に立てば、宝塚市内はもとより、南に大阪湾、西に甲山から六甲山系、東に生駒山を眺めることができます。そして、現在の宝塚市から名塩をこえて三田市にいたるルート、猪名川をさかのぼって能勢、亀岡に至るルートと日本海側へ向かうルート上の結節点にあることも理解できます。

中国大陸や朝鮮半島から輸入しなければならなかった鉄の素材や道具をはじめとして、様々な物流が必要不可欠になっていた古墳時代、交易ルートの掌握は、地域の有力者にとっても、中央の政権にとっても権力を維持する上で欠かせないものであったことといえます。

こうしたことを念頭に置くと、自らがおさめた地域を見下ろし、さらには流通網を眼下におさめることができる場所を選び、万籟山古墳が築造されたと理解できるのではないでしょうか?

もちろん、こういった視点は、集落遺跡から出土する土器からみた交流のあり方や様々な器物からみえる交易ルート復元をふまえて評価する必要があります。しかしながら、そういった考古学的な証拠も出そろってきている研究状況にありますので、万籟山古墳の発掘調査を継続していくことでさらなる実態解明につなげていきたいと大阪大学考古学研究室では考えています。(N)

誰よりも速く。そして、なによりも精密に。

こんばんわ。ブログ担当のUです。

いよいよ作業も大詰め。本日も、主に機器を用いた作業となりました。

今日おこなったのは、「閉合(へいごう)トラバース」と呼ばれる作業です。

頼りになる兄貴分。狙った獲物は必ず仕留めるH選手(4回)

閉合トラバースは、調査中に打ち込んだ木の杭などが、実際の地図で見た場合にどこにあるのかを正確に測定する、いわば遺跡の骨組みを確定するような重要な作業です。

各杭の真上に器械を設置し、杭と杭の間の距離、複数の杭間であらわされる角度などを測定します。こういう精密測量があることを知ると、考古学が文学部にあるのは不思議な感じがしますね。

最終的に、すべての杭を頂点とする多角形の、辺の長さや各部の角度を確定することで、相互の杭の正確な位置関係をよみとることができるのです。

古墳に設置した杭と、それらをむすぶ線で多角形が形成されています。これを「トラバース線」といい、地図上に古墳の位置を正確におとしこむ際の基準となります。(図:文化財保護委員会1966『発掘調査の手びき』より)
丁寧かつ慎重派の三脚名人N選手(3回)
スピードに定評。安定の水平職人I選手(3回)

各人、測量機器をたてるスピードを競い合うように機器を立てています。お互いのライバル心に火が付いたようです…
しかし、急ぐ中でも各選手、慎重に機器をあつかっているところに、普段の練習の成果がでていました。さすがです。

 

さて、調査を終え宿舎に戻ると…

疲れた表情のなかにも喜びを隠しきれない調査団員

Pizza!!

ピザパーティがおこなわれました!ピザは万人を幸せにする食べ物ですね。

みんなでおいしくたいらげました(U)

写真撮影です!

こんばんは。ブログ担当のUです。

休みから一日あけ、本日は写真撮影がメインの作業となりました。

今回の調査では、美術・文化財を専門とするカメラマンの寿福滋(じゅふく しげる)さんに、大判カメラでの撮影を依頼しています。今日はそれにあわせてトレンチの清掃を行いました。

後円部の調査区(墳丘の上から裾方向を見下ろしています)

写真でおわかりのようにすごい傾斜です。足腰にキます。しかし時間は限られているので、頑張るしかありません!

努力の甲斐あって、なんとか時間までに清掃を終えることができました…

大判カメラの撮影をおこなう寿福さん

無事に撮影は終了。寿福さん、ありがとうございました!

 

細部の写真を一眼レフカメラや35mmカメラをつかって撮影するのは大学院生の出番。土を掘り起こすことですすめる発掘調査は、掘った土を完全にもとに戻すことはできず、それゆえにある意味で破壊行為をいえます。しかし、適切に記録することで発掘調査現場をみることのできない方も検証することが可能となります。したがって写真撮影はかかせない作業です。スマホでなんか撮らないぜ!

すこしでも良い写真を撮影するため、なかなか雲がこないことにやきもきしながら、頑張って撮影をおこないました。

遺構の写真を撮影する際には、つよい直射日光などで明るいところと、日光があたらず陰になっているところの両方があると、全体像がみえにくい、まだらな写真になってしまいます。とくにカラー写真だけではなく、モノクロ写真も撮影しますので、陰影がつよくなると良い写真になりません。

ですので、基本的に太陽に雲がかかって、直射日光が遮られた瞬間を狙って写真撮影はおこなわれます。

しかし、場所や状況によっては、日除けの幕などで直射日光を防ぎ撮影をおこなうこともあるのです。

上の写真は、日除け幕を使おうとしているところです。うまく直射を避けられるよう、カメラを覗きながら日除け幕の位置を指示しています

雲がうまく太陽にかかってくれるかどうかは運しだいなので、写真撮影にはじっとたえる根気が必要なのでした。

 

 

また、調査もおわりに近づいているということで、今日参加したメンバーで記念撮影!

今日はすこし人数が少なかったのですが、思い出の一枚となりました

(U)

 

記者発表

こんばんは。ブログ担当のNです。

今日は、万籟山古墳の発掘調査成果を新聞社等の方にお伝えする記者発表をおこないました。発掘調査の晴れ舞台といったところですね。

特別に古墳までおこしいただき、今回の調査にどんな学術的な意義があるのか、発掘調査でなにがわかったのか、といったことをわかりやすくお伝えします。

記者発表風景

きれいに掃除した発掘調査区をカメラで撮影していただきます。

成果を記者さんにわかりやすくお伝えしています

古墳のこと、発掘調査のこと、この地域の遺跡のこと、記者さんが疑問に思うことをお答えすることも大切です。

記者の方の質問にも答えます

記者さんも一生懸命に成果内容をメモ。

ちなみに、記者発表のあいだ、調査団メンバーは、こっそりと万籟山2号墳の築造中!?

あらたな古墳築造中?!

ともあれ、こうして無事に記者発表をおえることができました。

さまざまな媒体で記事になって、万籟山古墳の調査成果がいろいろな人に知っていただけるとうれしいですね。

なお、調査現地はアクセス路のない山中に加えて民地内でもあり、今回の調査では現地説明会など、成果をひろく現地でみていただく機会を設けることができません。

調査の成果につきましては、宝塚市教育委員会とご相談しながら後日、成果報告会などを開催したいと考えておりますのでご了承下さい。

明日は、発掘調査はひと休み。

あとは写真撮影と図面作製作業がすこしのこっていますが、埋め戻し作業をすすめていく予定です。(N)

ラストスパートです!

さて、いよいよ現場も終盤にさしかかってきました。作業も大詰めです。
さいわいにして、本日は天候にたたられることもなく、無事調査を行うことができました。

その日の作業をはじめる前に、担当する調査区の先輩から、作業内容についてあらためて説明を受けています。
作業のおおよその流れは前日の夜に確認しているので、あとは自分の役割をしっかりこなせるかが勝負です!

神妙な面持ちで先輩の指示を聞く調査団員たち

最初は機器に不慣れだった調査団員も、この調査の中で使い方に慣れてきたようです。レベルをセッティングするスピードも速くなってきています。

来年度は後輩におしえる立場となりますので、しっかりとマスターしていきたいところです。

こちらは清掃です。小さい礫がたくさん使われている葺石部分には、風などで運ばれてきた砂ぼこりがすぐにたまってしまいます。

地道な作業ですが、根気よくがんばっています。

大学院生も、調査終了に向けてラストスパートです。
限られた時間のなかで情報の取り残しがないよう、最後まで油断せずに頑張っています。

調査の終了もせまり、各員疲れもたまってきていますが、宿舎に帰るとうれしいサプライズが!

なんとお味噌汁のお椀の中に古墳が!測量しなければ…

いつもユニークな差し入れをくださるOGの方が、古墳好きの多い研究室をおもんばかって送ってくださった「古墳こんにゃく」です。ありがとうございました!

現場では古墳をみて、宿舎では古墳を食べるという、まさに古墳尽くしの一日でした。(U)

雨の時は早めに撤収

こんばんは、本日はNがブログを担当です。

本日は天気が心配でしたが、なんとか作業を進めました。雨ではないものの、冷たい風が山の上で吹き荒れる中での作業でした。調査団員も、自分自身や図面が風にあおられないようなんとかこらえておりました。

過酷な天候により皆の体力もいつもより奪われました。

夕方、雨もはげしくなってきたので、作業を中断。

トレンチにブルーシートをかぶせて、雨風に検出面がさらされないように保護します。こういうとき、チームワークが試されます。

 

冷えきった体を、生活当番特製のロールキャベツのスープで温めました。

雨にも負けず、風にも負けず、花粉にも負けず、宿舎のせまさにも負けず、明日も頑張りたいと思います。(N)

万籟山古墳と長尾山古墳

こんばんは。ブログ担当のNです。

本日は、寒風ふきすさぶ中での調査となりました。

花粉もたくさん飛んでおり、花粉症の調査団員にはつらいです。

上の写真は、このブログでも何回か登場した「トータルステーション」の箱です。

とても重く、これをもって万籟山古墳にたどりつくまで山道をのぼることはある種の修行にも思えます…

 

本日も引き続き図化作業です。

調査終了後に、足りない情報が見つかってももはやあとの祭りですので、何度も取り残した情報がないかを確認しました。

本日も差し入れをいただきました!寒さもふきとぶ極上の甘さでした。

〈コラム:長尾山古墳について〉

さて、きょうは万籟山古墳からみえる長尾山(ながおやま)古墳についてご紹介します。

長尾山古墳の位置

兵庫県宝塚市長尾山古墳は、2007年から2011年にかけて私たちの研究室で発掘調査をおこなった、墳丘長41mの前方後円墳です。

古墳時代前期(およそ3世紀半ば~4世紀後半)のうち、前期前葉に築造されたと推定しています。

長尾山古墳の粘土槨。 人と比べると、その大きさがよくわかります。

埋葬施設は、被葬者の遺骸をおさめた棺を粘土でパックした、「粘土槨(ねんどかく)」とよばれるものです。

この長尾山古墳の粘土槨は、全国的にみても大規模かつ入念な構造をしており、摂津地域では最大級といえます。
墳丘規模が比較的小さいことを考えあわせれば、破格の規模といえるでしょう。

通説として、粘土槨は、竪穴式石室を採用する被葬者より1ランク低いランクの者が採用したと考えられています。その点で、長尾山古墳をみおろす位置にある万籟山古墳で竪穴式石室が採用されていることは興味深いものといえます。

 

とはいえ、精選した粘土を多量に用意することは大変です。ましてや、長尾山古墳の例のような大規模なものはなおさらです。

石材を多量にもちいる竪穴式石室とはまた違った大変さが粘土槨にはあるといえます。このあたりも今後考察を深めていく材料になりそうです。(N)