こんばんは。ブログ担当のNです。
本日は、寒風ふきすさぶ中での調査となりました。
花粉もたくさん飛んでおり、花粉症の調査団員にはつらいです。
上の写真は、このブログでも何回か登場した「トータルステーション」の箱です。
とても重く、これをもって万籟山古墳にたどりつくまで山道をのぼることはある種の修行にも思えます…
本日も引き続き図化作業です。
調査終了後に、足りない情報が見つかってももはやあとの祭りですので、何度も取り残した情報がないかを確認しました。
本日も差し入れをいただきました!寒さもふきとぶ極上の甘さでした。
〈コラム:長尾山古墳について〉
さて、きょうは万籟山古墳からみえる長尾山(ながおやま)古墳についてご紹介します。

兵庫県宝塚市長尾山古墳は、2007年から2011年にかけて私たちの研究室で発掘調査をおこなった、墳丘長41mの前方後円墳です。
古墳時代前期(およそ3世紀半ば~4世紀後半)のうち、前期前葉に築造されたと推定しています。

埋葬施設は、被葬者の遺骸をおさめた棺を粘土でパックした、「粘土槨(ねんどかく)」とよばれるものです。
この長尾山古墳の粘土槨は、全国的にみても大規模かつ入念な構造をしており、摂津地域では最大級といえます。
墳丘規模が比較的小さいことを考えあわせれば、破格の規模といえるでしょう。
通説として、粘土槨は、竪穴式石室を採用する被葬者より1ランク低いランクの者が採用したと考えられています。その点で、長尾山古墳をみおろす位置にある万籟山古墳で竪穴式石室が採用されていることは興味深いものといえます。
とはいえ、精選した粘土を多量に用意することは大変です。ましてや、長尾山古墳の例のような大規模なものはなおさらです。
石材を多量にもちいる竪穴式石室とはまた違った大変さが粘土槨にはあるといえます。このあたりも今後考察を深めていく材料になりそうです。(N)