調査二日目です。
調査を始める前に、本日予定されている作業をみんなで確認します。
確認の後、いよいよ作業開始です!
本日のおもな作業内容は、昨日に引き続きの下草などの伐採作業と、古墳のどの部分を掘削するのかといったことを決める「トレンチ設定」でした。
発掘調査を行う時に、場所も考えず、むやみやたらに掘りすすめてしまうと、適切な情報が得ることができないばかりでなく、必要以上に遺跡を掘り起こすこととなり、場合によっては遺構を痛めてしまうことになります。発掘調査は、ある意味では、破壊をともないます。そのため、手術の時に最低限の切開でとどめるのに似て、十分なねらいをつけて掘りすすめます。
上の写真にある測量機械(トータルステーション)を用いて、調査区の位置を決めていきます。
この機械は、調査した地点が地図上のどこにあるのか、などの情報を決める際に重要な作業(閉合トラバースと呼ばれる作業です)にも使われ、考古学の調査においてとても重要なものです。
一方、伐採は地道な作業ですが、発掘中の安全のためや、後々掘ったトレンチの写真撮影などをする際にとても大事になってきます。
最後に、その日の作業成果を皆で共有・吟味する現場ミーティングを行って本日の作業は終了です。
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さて、コラム第2回です。
〈第2回 古墳の立地について〉
古墳というと、みなさん下の写真のようなものを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか?

これは大阪府堺市にある百舌鳥(もず)古墳群です。日本一大きな大仙(だいせん)古墳(大仙陵古墳とも呼ばれます)を擁する古墳群として有名ですね。
百舌鳥古墳群は、古墳時代でも中期(おおよそ5世紀)の古墳群です。中期の古墳は写真のように平野に築かれることが多いのです。
一方、わたしたちが現在調査している万籟山古墳は、古墳時代前期の古墳であると考えられていますが、その立地は上の百舌鳥古墳群などとは大きくことなります。
上の写真は万籟山古墳からの眺めです。ごらんの通り、平野をみおろす高い山の上に古墳があることがわかります。
このように前期の古墳は、集落に住む人々から見上げられるような場所、逆に古墳からみれば、自分たちの地域を見下ろす立地を意識しているのです。
地図上では近い位置にある古墳どうしが、見通せる関係にあるのか、それとも山塊などで眺望を阻まれた関係にあるのかなども、古墳やその被葬者の性格を考えるうえで重要であると言えるでしょう。
古墳時代でも後期になると、ふたたび山のうえに古墳が築かれるようになります。ただし、古墳のあり方は前期のものと大きく変わり、小さな古墳が多く密集する「群集墳(ぐんしゅうふん)」とよばれるものになるのが最大の特徴です。
「群集墳」については、またこのコラムで別に扱う予定ですので、お楽しみに!
以上、本日は古墳の立地についてでした。(U)
滋賀県にあります東近江市埋蔵文化財センターです。
みなさんお疲れ様です。
たくさんの学生さんが生き生きと調査されていて、とてもすてきですね。調査成果も期待しております。
ブログでは、当市雪野山古墳も紹介下さり、ありがとうございます。雪野山古墳も見晴らしのいい場所にあります。ぜひ見に来てくださいね!
東近江市埋蔵文化財センター 御中
あたたかいコメントありがとうございます。
調査員一同、ご期待にこたることができるよう、頑張りたいと思います。
万籟山古墳や長尾山古墳の墳頂にたち、どういった景色がみえるのかといった問題関心は、
かつて雪野山古墳の調査で認識され、それがいまも引き継がれています。
実は大学院生の多くが一度は雪野山古墳にお邪魔しているのですが、また来墳したくおもいます。