続々と出土する埴輪たち

こんばんは。メディア班のⅠです。

今日も掘削の継続です。
本日からは1回生も合流し、調査はますます本格化しています。

ここ数日の作業では、数多くの埴輪片が検出されています。
埴輪というのは古墳に並べられた、土製の焼き物です。
「踊る埴輪」に代表されるような、人型のものをイメージされる方も多いかもしれませんが、万籟山古墳から出土するのは、円筒埴輪と呼ばれる土管状の埴輪です。


埴輪は竹べらで慎重に検出する


万籟山古墳から出土した埴輪(昨年度の調査で検出)

埴輪は、その焼き方・厚さ・ハケメという製作上の痕跡などをみることで、
だいたいどの時期に作られたものなのかを推測することができます。
「年代のものさし」ともいえるでしょう。
したがって、埴輪を観察することは、
それが並べられていた古墳の時期決定にもつながるのです。

埴輪については、いずれまた特集を設ける予定ですので、
ご期待ください。

~コラム 生活当番~
阪大考古学研究室の発掘調査では、「生活当番」という係があります。
生活当番は現場には出ずに宿舎に残り、掃除・洗濯・料理などの
家事をこなします。
その中でもハプニングが起こりやすいのが料理。
過去には様々なシェフたちが独創性あふれる(あるいは想像を絶する)逸品をふるまってきました。
さて、今日のメニューは・・・


仲良しコンビが製作。タレとだしがしみ込んだ力作だ。

心も体も温まるおでんでした。

石の性格をさぐる

こんばんは。ブログ担当のⅠです。

本日も昨日に引き続き、2つの調査区に分かれて掘削作業を行いました。

すると、後円部調査区とくびれ部調査区のどちらにおいても、
表土(現在の地表)の下から、拳よりも少し大きいサイズの石が出てきました。


くびれ部調査区の様子

古墳の発掘では、これが原位置を保った葺石(土砂の流出防止や古墳の荘厳化のために墳丘に葺かれた石)であるのか、
あるいは上にあった石が転落してきたものであるのかを見極めることが大切です。
そのための判断材料の1つとなるのが、基底石の存在です。
基底石とは、葺石の核となる大ぶりの石で、
これは古墳を築造する際にしっかりと据え付けられるので、
転落することもありません。
したがって、基底石が出てくると、その石群は葺石だと解釈できるのです。


宝塚市長尾山古墳で検出された基底石

今後は検出された石の性格をさらに詳しく精査していき、
基底石の存在を確認していくことが作業の第一目標となります。

調査中には、大学院生の先輩が後輩を指導する姿も印象的でした。


淡々と作業をこなす、女子大学院生の鑑H氏(M2)


後輩は先輩の背中を追い、成長していく

掘削作業はすすみます

こんばんは。本日のブログ担当のUです。

今日も、昨日に引き続き、それぞれの調査区を掘り進めていきました。
調査参加5年目以上の大学院生も、今年度から本格的に参加しはじめた下級生も、まさに発掘調査!ともいえる掘削作業には胸躍るものがあります。
しかし、ただやみくもに大スコップを振り回すだけでは調査になりません。
一層一層とミルフィーユのような土をはがしていく掘削作業では、その都度あらたに検出される土層の性格をしっかりと考えながら掘り進めなければならないのです。

当然その過程においては、予想外の遺構や、想定とはことなる質の土が出てくることもあります。
今日の掘削作業においても、少し予想外の成果がありました。


後円部調査区で出はじめた岩盤層

写真は後円部調査区の一部です。
この調査区の浅いところに、地山の岩盤と思われる層が出始めました。昨年度の後円部調査区の写真(詳しくは当ブログの昨年度の記事をご参照ください)と見比べて頂いても、その差がおわかりいただけるかと思います。
墳丘の表面をすべて葺石できれいに飾る、というオーソドックスなつくりかたとは一味違っているかもしれません。
そうした結果の解釈を、作業しながら、あるいはミーティングの場などでしっかりと議論することが、発掘調査において大切な場であるのです。

もちろんそうした作業に集中しながらも、作業に使う道具の手入れ・こまめな整頓なども重要です!


日々使う道具に感謝し、道具についた土をふき取る現場道具の守護神H氏(M1)

調査で判明しつつある様々な情報や、今後の調査のすすめかたを宿舎で熱く議論しつつ、夜は更けていくのでした・・・


白熱する議論。睡眠不足には要注意

本日、掘削をはじめました

こんばんは。ブログ担当のHです。

昨日に続き、本日も春の到来が感じられる良いお天気でした。
発掘調査もはじまったばかりで、調査環境を整えながら、すすめていきます。
本日は現場班、大学班、宿舎班の3つに分かれて活動しました。

①現場班
昨日は調査区を設定しましたので、その調査区内の表土(腐葉土などの表面の土)から掘り下げていきました。
また調査区周辺の除草や掃除もしました。
あたりまえのことですが、調査区のなかだけではなく、
調査区の周辺もきれいにしなければ、よい調査とはいえません。
また除草すると、調査区周辺の詳細な地形が明らかとなってきます。
調査の成果があらわれてきて、写真を撮影する際にも調査区周辺がきれいである必要があります。
まだまだ除草すべきところはありますが、今日、できるかぎりの清掃を行いました。


くびれ部の作業風景

②大学班
大学から現場や宿舎へ、使用する機材を搬出しました。


真剣な面持ちで準備をする、機材を熟知した男たち

発掘調査は、掘削や記録といったイメージが強いのですが、
宿舎整備や現場の資材準備も大切な仕事です。

大学班では機材のチェックも含めて念入りな準備をしました。

釘1本も忘れないチームの主力選手K氏(D1)と今期の注目株T氏(4回)

③宿舎班
宿舎の掃除を行い、大学から運び出された荷物を搬入しました。
宿舎は、これから調査団員が衣食住を共にする大事な場所です。
明日からいよいよ宿泊開始なので、これで受け入れ準備も万全。

本日の掘削作業では、くびれ部を中心に多くの埴輪片が出土しました。
明日は雲行きが少し怪しそうですが、がんばっていきたいと思います。

調査開始!!

こんばんは。ブログ担当のⅠです。

本日から現地入りして、万籟山古墳第3次調査を開始しました。
今日は大きく3班に分かれて作業を行いました。

① 写真撮影・調査区設定
 考古学の発掘調査では、じっさいに地面を掘削する前に、まず写真を撮ります。
 初日から、いきなりスコップを入れるということはありません。
 その後は、調査区設定を行い、掘る場所をテープで区切り、明確にしました。
 今年は古墳の後円部とくびれ部の二か所にトレンチ(調査で掘り下げる場所)をいれる予定です。

② 標高確認
 発掘調査では「標高」が非常に重要です。
 のちのち、遺構図面を書いていくときにも、必ず「高さ」の情報をもりこみます。
 本日はレベルという測量機器を用いて杭に与えていた標高値が、前年度までと変わっていないかどうかを確認しました。

③伐採
 昨年度の調査から一年間でのびた草木を伐採して、調査を行いやすい環境を作るということも大切です。
 急な斜面には階段をつくるなど、各人工夫を凝らします。
 三年目ともなると、伐採のスピードもかなり上がってきました。


浪速の階段職人K氏(4回)

明日以降は、いよいよ掘削作業に入っていきますので、皆さんもご期待ください!

始動 万籟山古墳3次調査

大阪大学考古学研究室春季恒例の
発掘調査がはじまります。
今年の発掘調査は、昨年と同じく、兵庫県宝塚市に
所在する万籟山古墳です。
今年で第3次目の調査となります。

本日は、調査開始にあたって、調査の目的と計画、
調査参加メンバーの自己紹介、調査中の諸注意などといった
情報の共有をする結団式でした。

福永先生による調査計画についての説明

発掘調査に参加するメンバーは、
この地域の古墳を研究している者、埴輪研究を専門とする者、
埋蔵文化財にかかわる専門職に就くために技術を身に着けようとする者、
考古学の基礎を学ぼうとする者、
発掘調査を経験してみたいという者と、さまざまです。

大学院生から大学1年生まで、はじめて顔をあわす人もいるので、
まずは自己紹介から。
今年の抱負も交えてそれぞれの思いを口にします。

調査団メンバーによる自己紹介

今年は、どんな成果が上がり、それにより猪名川流域における古代史がどのように解明されていくのか。
このブログを通じて調査の一端をお伝えしようと思いますので、
ご笑覧いただけましたら幸いです。

なお、古墳はアクセス路のない山中に加えて民地内でもあり、立ち入りはご遠慮ください。
古墳や調査に関するお問い合わせは、大阪大学考古学研究室までお願い申し上げます。

(T)

万籟山古墳の発掘調査成果講演会

おはようございます。ブログ担当のNです。

10月15日日曜日に、宝塚市立東公民館で万籟山古墳発掘調査の成果報告講演会を実施し、福永伸哉教授と中久保辰夫助教が発表しました。

万籟山古墳の発掘調査(2次調査)を今年3月におえて、それからも研究室では調査成果をもとに研究をすすめてきました。

発掘調査区で得ることができた土層の堆積状況を図面や写真で再確認し、古墳の規模を検証したり、

出土して土まみれの状態になっている埴輪を丁寧に水洗いして、土をとりのぞき、1つ1つの埴輪に出土地点、出土土層といった情報を細かい文字で記入したり、

地道な作業を根気強くつづけて、調査成果をより確実なものにしていきます。

こうした粘り強い仕事によって新たな発見もあります。

発掘調査時には疑問になっていた点も氷解することもしばしばで、考古学の醍醐味はかならずしも華やかな発見だけにあるのではないことに気づきます。

こうした発掘調査後の作業もすすんできて、また春の調査では、現地説明会ができなかったため、宝塚市教育委員会と大阪大学考古学研究室が共催で発掘調査の成果を報告する場を設けました。

講演会では、まず中久保助教が「万籟山古墳の発掘調査成果」として発掘調査で判明したことを報告しました。

次に福永教授が、「長尾山丘陵の古墳群と邪馬台国からの風」と題して、万籟山古墳が築造された歴史的背景について、最新の研究成果を披露されました。

当日は、雨の中にもかかわらず、200人近い参加者がおこしになり、猪名川流域の古代史に思いをはせる午後となりました。

これからも継続的に整理作業を続けて、さらなる古代史復元につとめたいとおもいます(N)。

 

 

立つ鳥跡を濁さず、です!

こんばんは。ブログ担当のUです。
本日は、埋め戻したあとのトレンチの状況を写真に撮ったり、古墳および古墳周辺の清掃を行いました。

写真撮影がおわると、一同でゴミ拾い。

来る前よりきれいに!を合言葉に、一同目を皿にしてごみを探します。

ゴミハンターK氏(2回)

スッキリと綺麗にして、一同帰宅しました。

夕日をバックに記念写真をパチリ。

殿を見事に勤め上げた勇士

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さて、長らくご愛玩いただいたこのブログも、今回が最終回です。
いままでご覧いただき、ありがとうございました。
発掘調査は終わりましたが、出土した遺物の整理など、まだまだやるべきことは盛りだくさんです!今回の成果を活かせるよう、頑張りたいと思います。

そして、これからも継続的に万籟山古墳の発掘調査を予定しています。

なお、古墳はアクセス路のない山中に加えて民地内でもあり、立ち入りはご遠慮ください。調査の成果につきましては、宝塚市教育委員会とご相談しながら後日、成果報告会などを開催したいと考えております。

 

とうとう埋め戻し!

こんばんは!ブログ担当の上田です。

本日は発掘調査の終盤、埋め戻し作業を行いました!

発掘調査で掘削した部分にあたるトレンチは、調査が終わったあとには、元どおりにしなければなりません。掘ってそのままにしておけば、発掘調査で露出した遺構が痛んでしまうからです。

発掘調査はある意味で破壊行為であるといえますが、将来的に行われる調査に向けて、残せるものは可能な限り良い状態で残さなければならないのです。

多くのことを教えてくれた万籟山古墳に感謝しつつ、丁寧に埋め戻して行きました。

 

 

 

…とはいいつつ、やはり肉体的な負荷は大きいようです。うなだれる調査団員…

 

しかし、現代医学の力は偉大です。

ここぞ!というときには、やはりドリンクですね

魔法のドリンクを摂取して、みるみるうちにエネルギーが…!!

ありあまるエネルギーを発散する調査団員

 

無事に埋め戻し作業を終えることができました。

 

ここちよい疲労感とともに、最後はお寿司でカンパイです!

好みの寿司ネタを狙う鋭い眼光

一同疲れましたが、充実した一日でした。(U)

 

今回の調査でわかったこと

こんばんは。ブログ担当のNです。

万籟山古墳の発掘調査も今年度分はおおむね完了し、あと掘削個所の埋め戻し作業をのこすのみです。

本日は、その作業を行う予定でしたが雨天のため、中止。明日も卒業式などがあるので、作業を行いません。

発掘調査も一息ついたところで、この場をお借りして発掘調査成果をお知らせしたいと思います。今回の調査では、現地説明会など、成果を現地でみていただく機会を設けることができませんでした。楽しみにされていた方には大変申し訳ございませんが、ここでご紹介することで、すこしでも調査成果を共有できればと思います。また、”調査の概要”でお知らせしています通り、宝塚市教育委員会とご相談しながら後日、成果報告会などを開催したいと考えております。

さて、今年度の発掘調査でわかったことは、つぎのようにまとめることができます。

調査成果①  著名な前期古墳をはじめて発掘調査したこと

万籟山古墳は、1934年にハイキングコースをつくる際、発見されました。その後、梅原末治らによる調査(梅原末治1937「攝津萬籟山古墳」『近畿地方古墳墓の調査』二 日本古文化研究所)、武庫川女子大学による測量図作成、宝塚市教育委員会・関西学院大学による石室実測(直宮憲一1975『摂津万籟山古墳』宝塚市教育委員会)など、埋葬施設を中心とした調査はなされてきたのですが、万籟山古墳の墳丘に関する情報は、地形の観察や測量調査によって推測するほかありませんでした。

たほう、古墳の研究は、埋葬施設やそこにおさめられた副葬品だけではなく、墳丘のサイズや構造にかんする情報も重視するようになりました。とくに古墳のサイズは、古墳築造に投入された労働力を反映するのですが、150m前後、100m前後、60m前後といったように一定の約束事をもっていることもわかってきました。

現在、墳丘長は古墳被葬者の実力、すなわち古墳築造に動員できる人々や労働時間があらわれたものであり、それが承認されているという考えが通説です。

こうした考えにたてば、文字史料に恵まれない古墳時代でも、古墳という考古資料を用いて、地域をおさめた有力者の存在やその政治的位置を探ることが可能となります。

大阪大学考古学研究室では、これまで考古学界の中で著名でありながらも墳丘に関する詳細な情報が知られていなかった万籟山古墳について、発掘調査によって古墳の墳丘長をまず確定しようと考え、今回、初となる発掘調査を実施しました。

調査成果②  墳丘規模の解明

これまで万籟山古墳の墳丘長は、地形の観察や測量調査によって54mとの推定が有力でしたが、今回の発掘調査によって64mであることが判明しました。

その根拠は、

①前方部トレンチで2段の葺石を検出し、1段目基底石から前方部前端が確定したこと、

②後円部トレンチ北端で傾斜平坦面を確認したことです。

さらに墳丘高は8.7mを測ることも明らかとなりました。同時期の猪名川流域の最有力古墳に相当する規模となります。

調査成果③ 万籟山古墳が築造された背景を探る手がかりが得られたこと

以上のように、発掘調査成果によって、万籟山古墳のサイズにかんする情報が得られたことにより、猪名川流域に築造された古墳の盛衰がいっそう鮮明なものとなりました。
万籟山古墳は、これまで少量の埴輪しかひろわれていませんでしたが、今回の発掘調査で多く出土した埴輪の特徴から古墳時代前期中頃(4世紀前半)に築造されたことが、確実視できるようになりました。

さらに、前方後円墳に竪穴式石室を有するという最も格式の高い古墳の形であることはすでにしられていましたが、発掘調査によって古墳の表面に丁寧に葺石を敷き詰め、埴輪を樹立していたことも明確となり、まさに古墳時代前期の典型的な古墳であると理解できるようになりました。標高215mを測る高い尾根上に築造されていることも教科書的な前期古墳のあり方といえます。

このように万籟山古墳に関する情報が発掘調査によって確定してきたことによって、古墳時代前期の長尾山丘陵には、葺石を有し、埴輪を樹立する前方後円墳が少なくとも2基(長尾山古墳、万籟山古墳)築造されていることになりました。両古墳にみられる特徴は、日本列島の中で最も巨大かつ入念に築造された大王墳をはじめとする大規模古墳と類似することから、初期ヤマト政権と長尾山付近の勢力との強い連携を推測することができます。

では、どうして長尾山丘陵にこのような典型的な前方後円墳が築造されたのでしょうか?被葬者はどのような勢力基盤をもっていたのでしょうか?

このことを考える手がかりの1つは、万籟山古墳墳頂から見渡すことのできる景色にありそうです。

万籟山古墳の上に立てば、宝塚市内はもとより、南に大阪湾、西に甲山から六甲山系、東に生駒山を眺めることができます。そして、現在の宝塚市から名塩をこえて三田市にいたるルート、猪名川をさかのぼって能勢、亀岡に至るルートと日本海側へ向かうルート上の結節点にあることも理解できます。

中国大陸や朝鮮半島から輸入しなければならなかった鉄の素材や道具をはじめとして、様々な物流が必要不可欠になっていた古墳時代、交易ルートの掌握は、地域の有力者にとっても、中央の政権にとっても権力を維持する上で欠かせないものであったことといえます。

こうしたことを念頭に置くと、自らがおさめた地域を見下ろし、さらには流通網を眼下におさめることができる場所を選び、万籟山古墳が築造されたと理解できるのではないでしょうか?

もちろん、こういった視点は、集落遺跡から出土する土器からみた交流のあり方や様々な器物からみえる交易ルート復元をふまえて評価する必要があります。しかしながら、そういった考古学的な証拠も出そろってきている研究状況にありますので、万籟山古墳の発掘調査を継続していくことでさらなる実態解明につなげていきたいと大阪大学考古学研究室では考えています。(N)