雨が上がって(2018/3/17)

こんばんは。本日のブログ担当谷本です。

早春とは思えぬほどの暑さから一転、今日は少し肌寒い空模様でした。
昨日の雨天中止を受けて、調査団員たちは早朝から獅子奮迅の活躍をみせてくれました。
それでは、本日の調査について報告します!

後円部トレンチでは、引き続き図面の作成を進め、ほぼ終了しました。
明日以降は図面の若干の補足をしつつ、写真撮影にむけて周辺やトレンチ内の清掃に邁進していきます!

くびれ部トレンチでも図面の作成を継続し、作業が大きく進展しました。
こちらも図面完成はあとすこし、写真の準備にはいっていきます!


図面作成を素早くかつ丁寧に仕上げていく調査団メンバー

~コラム① 兵庫県川西市満願寺を訪ねて~
調査団宿舎の近くに「満願寺」というお寺があります。
満願寺は奈良時代の前半、724年に聖武天皇の勅願により、勝道上人によって全国に建立され、当寺はそのうちの摂津国に建立されたものと伝わっています。


満願寺山門。両脇に控えるのは木造金剛力士立像(鎌倉時代末)。
明治時代に多田神社より移された。

平安時代中頃になると、多田源氏(2代目である源頼光が特に有名ですね!)の祖である源満仲(912?~997)が多田盆地(現在の兵庫県川西市)に移住し、多田院(現在の多田神社)を建立しました。
満仲は多田盆地の開発を進める一方で、満願寺に帰依し、満願寺は源氏一門の祈願所となりました。
そのためでしょうか、満願寺には多田源氏ゆかりの文化財が数多く残っています。


九重の石塔。
1293年に源氏一族の女法尼妙阿が父母の極楽往生を願って造立。
国指定重要文化財。


頼光四天王の一人、坂田金時の墓。
昔話『金太郎』のモデル。

鎌倉時代末から室町時代にかけて、満願寺は後醍醐天皇や室町幕府の厚い庇護を受けました。
川西市教育委員会が行った調査によると、満願寺金堂に安置されている宮殿(くうでん:仏像などの礼拝対象を収めるもの)はほぼ完全な唐様(禅宗様)を呈しており、弘治4年(1558年)と永禄2年(1559年)の墨書が残っています。
この宮殿は室町時代末期の標識建築としてきわめて重要なものと位置付けられています。


満願寺金堂。この中に宮殿が安置されている。

しかし、満願寺は有岡城の戦い(1577年:織田信長と荒木村重との戦い)における一連の戦闘に巻き込まれ、消失してしまいました。
その後、江戸時代になって、再建されたと伝わっています。


満願寺内にある『金時茶屋』のにしんそば。
あまりの美味しさに筆者悶絶。

~コラム② U氏(3回)生誕祭~
 本日3月17日は、3回生U氏の誕生日でした。この情報をキャッチした我々は、いつも弛まぬ努力を続けているU氏を労い、日頃の感謝を伝えようとサプライズプレゼントを贈ることにしました。


誕生日を迎えたU氏(3回)を肩たたきで労うW氏(3回)

 本日の調査が終わり、宿舎に帰ってきたU氏を待っていたのは暖かい祝福でした。
男性団員達の重低音が響くハッピーバースデイソングの後、U氏にプレゼントが手渡されました。


プレゼントに大喜びのU氏と笑顔で祝福する団員達。

U!
この一年が君にとってよりよい一年になるように!

(谷本)

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