古墳時代とは

 

日本列島では、西暦3世紀半ばより7世紀までの約350年間、墳丘をもつ大きな墓が数多く築造されました。地上に壮大な墳丘をもつ“古墳(こふん)”が造られたこの時代を、日本考古学では古墳時代として区分しています。
古墳時代は、本格的な稲作が定着し、石器に加えて青銅器、鉄器といった金属器が使用された弥生時代に続く時代で、後続する飛鳥・奈良時代には都やお寺が造営され、法律と官僚組織をそなえた成熟した古代国家が確立しました。このような特徴をもつ弥生時代と飛鳥・奈良時代にはさまれた古墳時代は、日本古代における国家形成期として考えられています。

百舌鳥古墳群(大阪府)

 

〇 古墳にみる規模と秩序

古墳時代には、日本列島各地の有力者たちが自らの墳墓……古墳の造営に莫大なエネルギーを注ぎました。現在判明しているだけでも、その数は約16万基といわれています。

これだけ多く築かれた古墳は、そのすべてが山と間違うような大きなものばかりではありません。古墳の大きさや形はさまざまであり、サイズに着目すると、墳丘の全長が486m、高さが36m、総体積は約140万㎥をはかる日本最大級の古墳である大仙陵古墳を頂点として、墳長10mに満たない小規模なものまで、とても大きな格差があります。こうした古墳の大きさは、土を盛るなどの古墳築造にかかる労働動員力の違いを反映している可能性が高いといえます。

また、古墳の形には前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)・前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)・円墳(えんふん)・方墳(ほうふん)の4つの基本形があります。そして、それぞれの形態の最大規模を測ると、前方後円墳が最大の規模を誇り、その後に前方後方墳、円墳、方墳と続きます。古墳時代350年間を通じて、最も巨大な規模を誇る古墳は、常に前方後円形の墳形を採用し、一貫して日本列島のほぼ中央に位置する近畿地域に築造されました。このことから古墳時代の中央政権は、近畿地域に存在したことが確実視されています。

墳形と規模の関係(都出比呂志氏による)

日本列島に数多く築造された古墳は、ただやみくもに造られたのではなく、古墳の大きさや形状には秩序がある。このことに着目した都出比呂志(つでひろし)先生は、墳丘の形態によって古墳被葬者の系譜や格式が表現され、規模によって実力が示されると考えました。そして、古墳の形態と規模という二重の原理によって、日本列島各地の有力者が序列化されたあり方を、都出先生は「前方後円墳体制(ぜんぽうこうえんふんたいせい)」と名づけました。

そのため、古墳の調査では、古墳の大きさ(墳長、墳丘高など)と形状(前方後円墳や円墳など)を確実に把握することが埋葬された人物像を探るために必要不可欠な作業となります。

次にこうした古墳時代において猪名川流域に築かれた古墳を宝塚市を中心に注目してみましょう。

〈さらに勉強したい方に〉
都出比呂志編1989『古代史復元6 古墳時代の王と民衆』講談社
寺前直人・福永伸哉2007『勝福寺古墳の研究』大阪大学勝福寺古墳発掘調査団

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