副葬品について

 

古墳時代の有力者のお墓である古墳には、古墳に埋葬された人物の力の強さや、あるいはお葬式をした後継者の権威をあらわすような品物が数多くおさめられます。おさめられた副葬品は、当時の人が意識的に地中に埋葬したものですから、古墳をつくった人びとの考えや価値観をそのまま伝えるものといえます。もちろんのちの時代に盗掘などによって副葬品が失われるケースも多くありますが、古墳の研究をするうえでも副葬品の研究は欠かせません。

古墳におさめられる副葬品は、時代によって種類や形状、材質やサイズがかわります。豊富なバラエティを生み出す要因にはいろいろありますが、ここでは主に、3世紀から5世紀にかけて、副葬品がどのように変化していくかを見てみましょう。

 

〇 古墳時代前期における副葬品の特徴

古墳は、約350年という長いあいだにわたって各地でつくられ続けます。一方で、当時の日本列島や、中国大陸、朝鮮半島を含んだ東アジアの情勢は、めまぐるしく変動しています。実は、古墳の副葬品には、そうした刻一刻と変化する東アジアの国と国との関係が反映されています。

古墳時代前期の副葬品例(愛知県東之宮古墳)

古墳がいとなまれた3世紀後半から7世紀は古墳時代とよぶことは、さきに記しましたが、日本考古学ではさらにこれを前期、中期、後期に時期区分しています。

「古墳時代前期」(3世紀中ごろ~4世紀後半)には、古墳に数多くの青銅製の鏡が副葬されます。学校の教科書にも載っている「三角縁神獣鏡」はその代表といえます。これら銅鏡の多くは、そのルーツを中国にもつことが明らかになっており、当時の日本列島の有力者が中国大陸との王朝(三国時代の魏、三国を統一した西晋)との関係を大切にしていたことがわかります。

このほかにも、鋭さを強調するようにつくられた鉄・銅製のやじりや、北陸や出雲でとれる石材をもちいた腕輪、装身具、刀剣をはじめとした武器類などが代表的な副葬品としてあげられます。ただし、武器や武具などより非実用的なものがおおく、呪術的性格のつよい点がこの時期の特徴であると言えるでしょう。そして、武器も実際の性能より儀式などにおける視覚的効果を重視していることがこれまでの研究で明らかになっています。

 

〇 呪術から軍事へ

古墳時代中期の副葬品例(大阪府野中古墳)

しかし4世紀になると、中国では政治的な混乱が起き、中国との交渉の窓口であった朝鮮半島北方もその混乱に巻き込まれていきます。中国王朝との関係をうしなった日本列島の有力者は、朝鮮半島の南の方にいた勢力との関係を重視し始めます。

そして5世紀には、朝鮮半島から安定的に鉄を入手し、かつてないほど大量の武器・武具を生産し始めました。これが「古墳時代中期」と呼ばれる時期で、あわせて、それまで大型古墳が密集していた奈良盆地ではなく、大阪平野に巨大な前方後円墳が築かれるようになります。

大阪府の百舌鳥・古市古墳群からは、膨大な量の鉄製武器・武具や、鉄鋌(鉄素材を一定の大きさ・重さにそろえたもの)などが発見されています。かつて大阪大学が調査した大阪府野中古墳からは、10領以上の甲冑や、150本以上の刀剣、700本以上の鏃が出土しており、当時の副葬品のありかたがよくわかります。

〇 副葬品の変化と古墳群の移動

以上にみてきたように、古墳時代の副葬品は、時期の変化や国際関係の変化とリンクしつつ、大きく変化しているのです。さらに興味深いことに、今回わたしたちがフィールドとしている猪名川流域地域では、呪術的性格の古墳と軍事的性格の古墳が大きく位置をたがえて築造されています(「宝塚市とその周辺の古墳」参照)。古墳をつくる地域が動くことと、副葬品内容の変化とは密接な関係にあるといえるでしょう。

ただし、古墳を研究する視点はこのほかにも多くあります。最後に、古墳の外見を飾った「埴輪」とよばれる遺物についてみていきましょう。

〈写真出典〉
犬山市教育委員会2014『史跡 東之宮古墳』
大阪大学大学院文学研究科2014『野中古墳と「倭の五王」の時代』

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